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スタッフ紹介

六花舎設計のスタッフ一覧
 

代表紹介 櫻井 進

部署・役職 代表取締役・一級建築士
保有資格 一級建築士
住宅ローンアドバイザー
定借プランナー
被災宅地危険度判定士
増改築相談員
既存住宅現況検査技術者
防蟻防腐施工認定施工者
宅地建物取引主任者
お客様に一言  私は10代から20代後半まで、少林寺拳法の修行を通し自身の弱さを改善したく学んでおりました。
 そんな時、”我以外皆我師”という言葉と出会い、さらに修行鍛錬に励みました。
 今でも修行途中ですが、『自分に厳しく他人に優しく』をモットーに学び中です。
 仕事の上でも、知り合えて良かったと言って頂けるよう、日々研鑽している毎日です。

プロフィール詳細

茨城県境町の農家に生まれる
櫻井 進1957年4月20日、私は茨城県境町で農業を営む両親のもとに次男として生まれました。両親は米作りのほかにも、果樹園でナシやブドウを栽培していました。

兄が1歳ほどで亡くなったので、私は姉と妹の間で長男として育てられました。周囲から言わせると子どものころの私はガキ大将だったそうです。周囲がおとなしすぎたと私は思っていますが…(笑)。小学生のころから、竹や木製のおもちゃを分解してその部品で戦車など別のものを作ったり、傘の棒部分と爆竹を使って空気銃を作ったりと、想像力を養うような遊びが好きでした。


指導者に恵まれ急成長したサッカー部
長田小学校から境第一中学校へ進み、サッカー部に入りました。顧問はサッカーの経験がなく技術を教えてくれる人がいなかったため、1年生のときは走って基礎体力をつける練習ばかり。ところが、2年の後半から日大の大学生がコーチとして指導してくれるようになると、私たちは急激に強くなりました。フォーメーションなどの戦術を意識し始め、マインドも鍛え、これまで地方の大会で敗退していた弱小チームが、全国チャンピオンの学校と同レベルの試合ができるようになったのです。指導者が変わるだけでこんなに違うとは…。子どもたちの能力が伸びるかどうかは指導者次第だとつくづく思います。


設計士という職業の存在を知る
中学卒業後は総和工業高校の電気科へ進みました。家業の農業は天候によって収穫量が左右され収入が安定しないため、両親の勧めもあり将来的には家内工業を始めたいと考えていました。

当時は情報もなく職業の選択肢も少ないなか、あるとき「建築家って稼げるらしいよ」という姉の言葉から建築家や設計士の存在を初めて知りました。家内工業をやるとしても高卒では勉強不足と感じていたことや、設計士という職業に興味を持ったことで金沢工業大学建築学科へ進みました。考えてみれば、建築家を目指すきっかけはあの姉の一言だったのです。

私の周りの農家の長男は、家業をしながらの職業選択なので、職人になる方が多く、設計士はもうかるからいいぞと言われていました。


クラブ活動で得たもの(少林寺拳法)
櫻井 進建設業には腕自慢の人が多いと聞いたので「建設業界に入るなら自分の身は自分で守らなければ」と、大学では少林寺拳法部に入部しました。「力愛不二(力なき正義は無力、正義なき力は暴力)」という教えのもと修行を続ける日々でした。

少林寺拳法部は団体での活動も多く、春・夏に行われる合宿では、他大学の拳士と共に苦しい修行をすることで強い絆が生まれました。また、全国大会などを通して日本中の拳士とつながりができたことも貴重なご縁となりました。団体はどうあるべきかを学び、助け合いの精神を養い、多くのことがその後の社会生活にも生かされています。
特に社会に出て他県で仕事をする際は、OBのネットワークにはとても助けられています。自分の身を守るために始めた少林寺拳法でしたが、当時からの仲間は今の私にとって大きな財産となっております。



やる気になればなんでもできる
これからバブル期が始まろうとしている昭和55年、私は大学を卒業し地元の設計事務所へ入社。1級建築士に合格し、将来独立するために多くのことを身に付けたいと考えていました。
その後、転職し建設会社で新しく不動産事業部ができた際、私に課せられた最初のミッションが、会社の保有する土地を有効活用するために、隣の区画の持ち主に難しい条件をおしつけてくることでした。不動産に関して私はまだまだ素人、相手はプロなのに…。

これも修行だと自分なりの作戦で挑みました。ご主人が帰宅する前に手土産持参で伺い、先にご両親と仲良くなりました。毎晩通って一週間を過ぎたころ、最後は絶妙なタイミングで土下座。私のしつこさに根負けしたのか、または同情してくれたのか、ついにその土地に先方にとって難しい条件になってしまうことをのんでいただくことができました。ストレスで体調を崩しながらもなんとか乗り切れたのは、スポ根で養った精神力のおかげだと思います。この一件で「やる気になればなんでもできる」と自信がつきました。


初めての営業は…
櫻井 進7年半勤めたあと、昭和63年に不動産分譲の会社に転職。そこで新たに設計部を立ち上げました。当時は分譲住宅のチラシを配ればすぐに売れる時代でしたが、その後は新たに土地を仕入れるまで暇を持て余す状態でした。私は何も仕事をせずに給料をもらうのが申し訳なくて「営業に行かせてください」と社長に直談判しました。

車で営業に出たところ、前日に火事を起こした家の片付けに遭遇しました。それは営業のチャンスでしたが、相手の気持ちを考えるとこんなときに売り込みなんて、とても失礼な話です。私は悩みながらその家の前を5往復…。そして「ここで行かなければ後悔する」と腹を決め、粗品のタオルを持参し挨拶しました。「大変でしたね…よかったらこのタオルも使ってください」と、それだけを伝えて帰ってきました。1週間後に再び訪問し、先日は業者の人間が行くタイミングじゃなかったことをお詫びしました。

しばらくすると先方からご連絡が。私を熱心だと気に入ってくださり、その方の親戚の家の建築を受注することができたのです。その後も土地の売買もお任せいただきました。私にとって初めての営業でしたから本当にうれしくて…。このお客様とのエピソードは何年経っても忘れることはありません。

また、当時は積極的にクレーム処理を担当しました。クレーム対応の経験は自分が社長になったとき、部下へのアドバイスにきっと役立つと思ったからです。この会社では、さまざまなことを学ばせてもらいましたが「自分が納得できる仕事をしたい」という思いから、やがて職場の仲間と会社を興すことになります。


自分のやり方は間違っていなかった
30歳のとき、工事部長と私で共同会社「開成ホーム」を立ち上げました。以前から仕事ぶりを気に入ってくれた同業者の社長さんが、開業資金として無担保で3000万円を貸すとおっしゃってくれましたが、少し遠慮して2000万円をお借りすることに。当時はまだバブルがはじける前で受注は順調に上がり仕事は好調でした。

その後、1990年にデザインに特化した会社として、現在の会社「六花舎設計」を立ち上げました。ある会計事務所へ開業のご挨拶に伺ったときのことです。以前、私のお客さまの土地売買の際、私が奔走し税金面の難題を解決したことを覚えていてくれて、櫻井さんはお客さまに対して、責任ある対応をする人と評価され、ちょうど事務所移転を考えていたタイミングだったこともあり「新しい事務所の建築は櫻井さんにすべて任せる」と言っていただきました。最初の仕事でしたから本当にありがたい思いで一杯でした。

完成した会計事務所は感謝の気持ちと情熱を注ぎ込んだ自信のデザインとなりました。その後、完成した会計事務所を訪れたある経営者さんが「センスがいい」と気に入ってくださり、なんとご自宅の設計・施工を任せてくれることに。そのお宅が完成すると近隣の方から、さらに3件のご依頼をいただくことができました。よいものを作っていればきっと誰かが見ていてくれる…自分のやり方は間違っていなかったと感じました。


工務店の社長さんとの信頼関係
櫻井 進以前の会社時に4棟の建築を請け負ったときに、施主様と工務店さんの間でトラブルになったことがありました。そのとき私は4棟とも途中でストップさせたのですが、結局、施主様からは精算金はいただけず…。それでも工務店さんには自腹を切り支払いました。
このような経緯があり、「六花舎設計」を立ち上げたばかりのころ、その工務店の社長さんが「どんなことでも協力する」と言ってくれたのです。「情けは人のためならず」という言葉が身に染みた瞬間であり、とてもうれしく心強かったことを覚えています。
現在も当社ができることは喜んで協力し、反対に助けてもらうこともあります。信頼関係で結ばれていると仕事がよりスムーズに進み、お互いの会社にとってプラスになることが多いと実感しています。


信頼を裏切らないために
これまで一番つらかったのは、信用して任せていた現場監督が途中で逃げてしまったときのこと。気が付けば現場はまったく進んでいませんでした。社長の私が責められるのは仕方ないとしても、紹介してくれた義理の兄や関係者の顔にドロを塗ることだけは、なんとしてでも避けなければなりません。私は監督を捕まえて工程を確認し、完成までほとんど寝ずに仕事を続けました。「絶対に期日までに終わらせる」という使命感に燃えていたので、深夜工事をするため近くの方々には、大変ご迷惑をかけたと思います。

こんな事態になってしまった自分を情けなく感じるときもありました。ですが、家族や社員のことを考えると私が逃げるわけにはいきません。その場から逃げれば少しの間だけは楽になりますが、その後の人生で残るのは後悔だけですから。

その期間の私はすごい形相をしていたのでしょうか、それとも寝ないで必死に働いていたからでしょうか、職人から「社長は化け物か」と言われたくらいです(笑) 。周囲の協力もあり、なんとか期日までに完成することができましたが、信頼を裏切る結果にならずに本当によかったと思っています。


人を裏切らず、嘘をつかず
私は根っからデザインが大好きで、今もセンスのよい住宅を見かけると、頭のなかで3Dを描き、分解し構造を確認しています(笑)。
いいデザインを描きたい、納得できる仕事をしたい、お客様が満足してくれる設計をしたい。数ある業者のなかから当社を選んでくれたお客様には絶対に後悔させない。昔も今も仕事に対する思いは変わりません。

この業界に入ってから30年以上経ちますが、私の男気を買ってくれたお客様や関係者も多かったのではないでしょうか…。人を裏切らず、嘘をつかず、時代の流れに合わない仕事のやり方かもしれませんが、今後も自分の信じた道を貫き通したいと思っています。
そして、会社のスタッフと家族を絶対に幸せにする。この約束をこれからも守り続けていきます。

櫻井 進 初めて建築したお客様から頂いた扁額


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